共同執筆者のソウメラル教授は、「経験の長い医師ほど、EBMという新たな治療戦略に関する経験が少なく、あまり受け入れていないように思われる」と述べているが、経験の長さはさておき、EBMを受け入れない医師が存在するのは事実だ。素人ならともかく、プロである医師の多くがEBMという概念を正しく理解していないのである。それはこういう発言でわかる。
「EBMの目的は医療費の削減にある」
「これはエビデンスに基づく治療だからやめられない」
「その治療はエビデンスがないのでできない」
「ガイドラインに従うことこそがEBMの実践だ」
「EBMは治療者の臨床経験を否定するものだ」
「ガイドラインのような料理本は多様性のある個々の患者に使えない」
すべての医師が理解していると勝手に思い込んでいただけにショックが大きい。いずれもEBMを誤解しているがゆえの的外れな発言である。しかしこれは医師だけの責任ではなさそうだ。どうやら厚生労働省がやらかしてくれたようなのである。
以下は、『アメリカ医療の光と影』の著者で知られる、ハーヴァード大学の李啓充助教授の文章である。
***********************
筆者は、1999年の5月に日本を訪れた際に、米国B大学医学部の学生臨床実習責任者であるF医師の講演を拝聴する機会を得た。講演は首都圏のある大学病院で行なわれたが、そのテーマは、臨床実習の場でどうやって学生にEBM(Evidence-based medicine)の実践を教えるかというものであった。講演後、F医師はある教官からの質問に、正真正銘驚いて目を白黒させた。
質問は、「EBMの究極の目的は診療ガイドラインを作ることにあるはずだが、ガイドラインから外れる症例ではどうしたらよいのか」というものであった。この質問は、F医師の講演内容をまったく理解していなかったことを示すだけでなく、EBMに対する完璧な誤解に基づくものであったからこそ、F医師は驚いたのである。
なぜ、そのような頓珍漢な質問を受けるのか理由がわからないと、F医師が理解に苦しんでいる様子は気の毒であったが、実はそのような頓珍漢な質問が出た原因は、当時の厚生省(現厚生労働省、以下同)が、EBMに関する誤解を広めるキャンペーンを始めていたことにあったのである。
筆者が知る限り、「EBMとは治療ガイドラインに基づく医療をすること」というEBMに対する本末転倒の誤解を広めるキャンペーンを厚生省が始めたのは、1999年2月、同省の医療技術評価推進検討会が「EBMの概念を広めるため、国が音頭をとって治療ガイドラインを策定する」という方針を発表したのが最初である。そして同年5月には、米国のEBM専門家がのけぞって驚くほど頓珍漢な質問を、日本の医学部教官から受けるまでにその影響が浸透したのであるから、この厚生省のキャンペーンは短期間の間に実に見事な成果を上げたと言わざるを得ない。
***********************
恥ずかしくて、穴があったら入りたくなるような話である。そして話は厚生労働省からのお粗末な弁解へと続く。
***********************
2000年3月、厚生省の「EBM」キャンペーンの真意に疑念を抱いていた筆者は、厚生省健康政策局研究開発振興課医療技術情報推進室(当時)のM氏に厚生省の真意を直接質す機会を得た。その際、M氏は「ガイドライン作りを進めるのは、いつでもどこでも誰でもEBMができるようにするためであり、日本のボトム3分の1の医師たちにまともな医療をしてもらうことがガイドラインを作る目的である」と言明された。
ガイドラインに従う医療をすることがEBMであるとの認識を示された上に、トップダウンのガイドラインを日本の医師たちに押しつけることが厚生省の目的であるとするM氏の言葉に、厚生省の「EBM」キャンペーンに対する筆者の疑念は解消されるどころか、ますます増強されたのであった。
***********************
EBMの父とされるマクマスター大学のデビッド・サケット教授は(現オックスフォード大学)、EBMを「個々の患者の診療方針を決定するにあたり、現時点で最良の科学的根拠を、良心的に、明快に、慎重に用いること」と定義し(Sackett DL.et al,1996)、聖路加国際病院の福井次矢院長は、「入手可能で最良の科学的根拠を把握した上で、個々の患者に特有の臨床状況と価値観に配慮した医療を行なうための一連の行動指針」と定義している(福井次矢,1999)。
この定義を読んでも、何がなんだかよくわからないかもしれない。しかし、「ガイドライン」=「EBM」ではない、ということだけでも頭に入れておいてほしい。
とはいえ、EBMを理解するのはそれほど難しいことではない。要するに、EBMとは次の4つの手順で進行する医療行為を指す。

EBMを正しく理解していないと、せっかく最新のガイドラインを紹介しても誤解を招くだけかもしれないので、次回からはEBMの4つのステップについて説明しようと思う。
【関連する記事】