2007年01月28日

技術者から学ぶ

先日の個人治療プログラムで、ある技術者からとても面白い話を聴かせていただいた。それはEBMについて説明していた時だった。

もう耳にタコができるほど聞かされているのでウンザリという方もおられるかと思うが、EBMを正しく理解していない医師の多さに愕然とした出来事があったので、復習の意味も込めてここで簡単に説明しておこう。

EBMは、疑問点抽出文献検索批判的吟味適用性判断という4つのステップから構成されている。

これら4ステップのうち、第1〜第3ステップまでがサイエンスであり、最後の適応性判断がEBMの根幹をなすもっとも重要なアートというステップである。これについてはEBMとは何かをご覧いただきたい。

要するに、「ガイドライン」=「EBM」でないということである。ガイドラインは使いこなすものであって、けっして使われてはいけない。ガイドラインの押し付けは、ドクターハラスメント以外の何物でもないのだ。

EBMとは、最新のガイドラインを熟知した上で、個々の患者の個人的背景と価値観を考慮した医療を行うことである。したがって、同じガイドラインを参考にしたとしても、65億通りの治療法が存在することになる。

これが「医学はサイエンスに支えられたアートである」といわれるゆえんである。何度も繰り返すが、医学は基本的にアートなのだという点を強調しておきたい。

さて、ここまで説明したところで患者さんが微笑んでいるではないか。その理由を尋ねてみると、こんな話をしてくれた。

「われわれ技術屋の世界と同じですね。ある理論に従って緻密な計算の上に設計された製品であっても、最終的には現場の職人さんの目と手が必要になるんです。理論的にはあり得ないはずなんですけど、不思議なことに職人さんのチェックがなければ良い製品は完成しないんですよ」

なるほど、そういうものなのか。世の中には理論や理屈で説明のつかない世界が、他にもたくさんあるというわけだ。いまだに謎だらけの人間を扱っているのだから、当然といえば当然かもしれないけど、この赤い彗星にとってはとても新鮮な驚きを覚えた瞬間だった。

どうやら、学べる材料はどこにでも転がっているものらしい。なんともありがたいことである。


posted by 長谷川 淳史 at 01:16| EBM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月22日

どうでもいいこと

これからどうでもいいことをいう。

最近、『EBMに基づく○○診療ガイドライン』という本がやたらと増えてきた。でも、『根拠に基づく医療に基づく○○診療ガイドライン』って、日本語になってなくない?

誤解のないように説明しておく。これは出版社が悪いのではなくて、EBMに関する誤解を広めた厚生労働省に責任がある。「EBM=ガイドライン」という誤解を広めたのも、「EBMに基づくガイドライン」という英語に翻訳できないトンチンカンな用語を作り出したのも、他ならぬ厚生労働省なのである。

頭のイイお役人の考えることは、オツムの悪いこのノータリンには永遠に理解できないのかもしれない。

それから去る4月1日、ある国の医師会副会長が記者会見の席上でこのようなことを仰せになった。

「根拠に基づく医療というものも必要であるが、患者さんの痛みや望んでいることを理解したうえで、医療を提供していくことも重要と考えている。最近はそのような考え方が忘れられがちであり、それらを取り戻せるよう努力していきたい」

お言葉を返すようで大変恐縮なのだが、「患者さんの痛みや望んでいることを理解したうえで、医療を提供していくこと」こそがEBMだと、EBMの父デビット・サケット教授がおっしゃっているぞ(Sackett DL.et al,1996)

万が一、この記者会見が海外のメディアで報道されたら、いい恥さらしになると思うがどうだろうか。せめてEBMに関する1冊の本、いや1編の論文でもいいので、ざっと目を通してから発言してもらいたかった。

あれ? もしかして、エイプリルフールってことでボケをかましたのか? それならゴメン。

ま、いずれにせよどうでもいいことだ。この赤い彗星には関係ない。

posted by 長谷川 淳史 at 23:43| EBM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

ステップ4:適用性判断

最後のステップ4では、得られたエビデンスの患者への適用性を判断する。

EBMが誤解されやすいのは、「根拠に基づく医療」ということばからこのステップ4が連想できないからである。しかし、EBMを実践するにはこの「適用性判断」がもっとも重要で、このステップが抜けていてはもはやEBMとはいえないのだ。

したがって、たとえEBMの手順を用いて作成された診療ガイドラインだとしても、すぐさま目の前の患者に当てはめてよいわけではない。事実、1991年にゴードン・ガイアットが発表した論文『Evidence-Based Medicine』の中にも、「エビデンスはけっして何をしたらよいかを教えてくれない」とはっきり書かかれてある(Guyatt GH,Evidence-Based Medicine,ACP J Club,A-16,p114,1991)。

たとえば、医療機関の設備、治療者の経験や技術、医療システムなどが障害となって、診療ガイドラインが使えない場合がある。また、患者の好みや家族の意向、経済状態、職業、宗教といった社会的背景などが問題になることもある。

つまり、EBMの最後の仕上げは、次の3つの要素をバランスよく統合し、個々の患者にとって最善の医療サービスを提供することなのである。

【1】科学的根拠(Evidence)
【2】患者の価値観(Patient Preference)
【3】治療者の技術と経験(Clinical Expertise)

この3つの要素のうち、どれかひとつが欠けてもEBMは成り立たない。

EBM批判論者は、「診療ガイドラインは単なる料理本(Cook Book)にすぎないので、多様性のある個々の患者には使えない」という。これはEBMの核心ともいえるステップ4を知らないと告白しているようなものだ。

美味しい料理を作るには新鮮な食材(最新のエビデンス=診療ガイドライン)が必要だ。賞味期限が過ぎて腐敗した食材(時代遅れの情報)はいただけない。食材は新鮮であればあるほどよい。そして、食べる人の好き嫌いや食物アレルギーの有無(患者の価値観や背景)も知らなくてはならないし、最終的には料理人の腕(治療者の技術と経験)がものをいう。

適用性判断.jpg

料理本に書いてあるからといって、嫌いなものやアレルゲンを口の中へ押し込む料理人などいるはずがない。それは医療行為ではなくて暴力行為、いわゆるドクターハラスメントなのである。

さてここで、EBMとは何かで述べた誤解に基づく発言を振り返ってみよう。

「EBMの目的は医療費の削減にある」

診療ガイドラインに従うと無駄な医療行為が行なわれなくなるので、医療費が削減できる可能性はある。しかし、EBMの目的はあくまでも個々の患者にとって最善の医療サービスを提供することにあるわけで、結果的に医療費が削減したとしてもそれは2次的なものでしかない。

「これはエビデンスに基づく治療だからやめられない」

いくら強力なエビデンスがあったとしても、患者が望まないのであればその治療法は避けるべきである。患者の価値観を無視するのはEBMではないし、嫌がる患者を押さえつけてまで治療しても効果は上がらない。

「その治療はエビデンスがないのでできない」

たとえエビデンスがなくても、患者が望むのであればそれに応える方向で前向きに検討すべきである。ただし、患者の回復を遅らせるような介入や、大きな危険を伴う介入、高額な費用のかかる介入は、患者とよく話し合った上で本人に選択させるのが望ましい。

「ガイドラインに従うことこそがEBMの実践だ」

診療ガイドラインはEBMのプロセスで生まれたものにすぎず、診療方針を決定する上で参考にするものでしかない。重要なのは、目の前の患者にガイドラインを当てはめてよいかどうかを慎重に判断することである。ガイドラインは使いこなすものであって、けっして使われてはならないのだ。

「EBMは治療者の臨床経験を否定するものだ」

EBMはステップ4の適応性判断によって完結するものである。したがって、治療者の臨床経験は必要不可欠であり、時と場合によっては直感も頼りになる。

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【重症患者予知のためのお告げの研究】
ある中年男性が腹痛で救急外来を受診したとします。病歴と身体所見で尿路結石を疑って患者さんが採尿で席をはずした時に、付き添ってきた奥さんが心配そうな顔をして、「ふだんは医者ぎらいで、風邪で寝込むようなことがあっても絶対に医者には来ない人なんです」ってあなたに囁いたとしますね。その一言だけで、あなたの頭の中の警報閾値はぐんと下がって、たとえ尿潜血が陰性でも(陰性だからこそ?)、「こりゃ、うっかり家には帰せないな」と思うわけです。これが「お告げ」です。この奥さんの一言が、経験を積んだ臨床医の決断に重大な影響を及ぼすのです。
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「ガイドラインのような料理本は多様性のある個々の患者に使えない」

繰り返しになるが、食べ物の好みをよく訊いて、満足してもらえる料理を作るのが料理人の役目であり、腕のみせどころではないか。この好みを訊きだす技法がNBM(Narrative-Based Medicine:物語に基づく医療)、すなわち昔ながらの対話に基づく手当てなのである。

ウイリアム・オスラー卿は「医学はサイエンスに支えられたアートである」と述べている。いうまでもなく、ステップ1〜3まではサイエンスで、ステップ4はアートである。このサイエンスとアートの統合なくして医療は成り立たない。NBMはEBMのアートの部分を補完するための重要なツールなのだ。

最後に、診療ガイドラインは使いこなすものであって、けっして使われてはならないという点を強調しておきたい。そして、新鮮な食材(最新のエビデンス=診療ガイドライン)を生かすも殺すも、すべては料理人(治療者)の腕にかかっていることを忘れないでほしい。

「人生は短く、学術は永い。機会は逸しやすく、経験は欺き、判断は難い」(ヒポクラテスの箴言)
posted by 長谷川 淳史 at 00:06| EBM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月25日

ステップ3:批判的吟味

ステップ3では、収集した医学文献を臨床疫学の原則にしたがって批判的に吟味する。

疑問点の解決に必要な文献を入手したら、その研究内容が信頼に値するかどうかを検討しなければならない。自分にとって好都合な研究にしがみつくのは危険である。研究デザインの質やエビデンスレベルが低いと信頼性に大きな問題があるし、その後の追試によって結論が覆るかもしれないからだ。

また、「治療した」⇒「治った」⇒「故に効いた」という『三た論法』はエビデンスではない。このクワッカリー(イカサマ師)が使う常套手段を信じ込んでしまうと、何ひとつ効果がないばかりか、時には有害な治療に大金を投入する危険が生じる。その道の権威、あるいは専門家といわれる大学教授でさえも、気づかぬうちに『三た論法』の罠にはまっていることがよくある。

溺れる者は藁をもつかむというが、『三た論法』にまんまと騙されて、藁などつかんではならないのだ。

藁をつかまないためには、研究デザインの質とエビデンスレベル(科学的根拠としての信頼性の高さ)を厳しく審査し、その研究から得られた結論が信頼できるかどうかを検討する必要がある。ここではヨーロッパガイドラインが採用した基準を紹介する(European Guidelines for The Management of Acute Nonspecific Low Back Pain in Primary Care,2004)(European Guidelines for The Management of Chronic Nonspecific Low Back Pain,2004)(European Guidelines for Prevention in Low Back Pain,2004)

まず、研究デザインの質を評価するチェックリストを以下に示す。

診断研究のチェックリスト.jpg

防研究のチェックリスト.jpg

各項目に1ポイントが割り当てられ、5ポイント以上が質の高い研究、4ポイント以下が質の低い研究と判定する。

エビデンスレベルの判定は以下のとおりである。

診断学研究のエビデンスレベル.jpg

防研究のエビデンスレベル.jpg

考えてみてほしい。このステップを終了させるまでには、いくらコンピュータを駆使したとはいえ、相当な時間と労力を費やさなければならない。とても目の前に患者を待たせたままできる作業ではない。だからこそ、ステップ3までをまとめた診療ガイドラインが必要なのだ。

しかも、診療ガイドラインは3年毎に更新されるので、使わない手はないだろう。研究に専念できる立場なら話は別だが、毎日クタクタになりながら患者を診ている治療者は、ステップ1からステップ3までをすっ飛ばしてしまえばいい。

だからといって、診療ガイドラインをそのまま患者に押しつけてはならない。患者に診療ガイドラインを押しつけることは、医療行為ではなく暴力的行為といえるものであり、ドクターハラスメントといっても過言ではない。

EBMでもっとも重要なのは、診療ガイドラインを作成することではなく、実はステップ4の適用性判断なのだ。いくら最新の診療ガイドラインといえども、それはひとつの体系的レビューにすぎないと考えるべきである。
posted by 長谷川 淳史 at 00:12| EBM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

ステップ2:文献検索

ステップ2では、疑問点の解決につながる医学文献をくまなく検索する。

当然ながら、たまたま手元にある文献を簡単に信用してしまうのと、人類はじまって以来、あるテーマについて研究された論文をすべてチェックした上で、信頼に値するものかを検討するのとでは雲泥の開きがある。

現在、世界中で出版されている生物医学系雑誌は2万誌以上あり、毎年200万件を超える論文が発表されている。これらの論文を積み重ねると500メートルの高さにも達する(チャーマーズ・イアイン&アルトマン・ダグラス,2000)。もし10年分の論文を集めたとしたら、富士山よりはるかに高い5000メートルを超えるだろう。人間が生存できる限界高度だ。

ちなみに、ジョン・サーノがTMS理論を発表したのは、1984年発行の『Mind Over Back Pain』が最初である。約20年前ということは、このあとに発表された論文はゆうに1万メートルを超えてエベレストより高くなっている。したがって、TMS理論はもう古いといわざるをえないのだ。

さて、このとてつもない情報量の中から必要な文献をもれなく収集するのは、どんなにがんばってみたところで一個人の手に負えるものではない。そこでコンピュータが必要になる。コンピュータの高度な検索機能がなければ、たとえ生涯を賭けて取り組んだとしても不可能だ。

もうお気づきだろう。実をいうとEBMは、IT(Information Technology:情報通信技術)革命がもたらした産物なのである。

しかし、コンピュータさえあればそれで事足りるというわけではない。医学文献を効率的に検索するには、情報量が豊富で更新スピードの速い情報源が必要である。

その代表的な文献データベースに「MEDLINE」がある。これはアメリカ国立医学図書館が誇る世界最大の医学文献データベースで、アメリカを中心に約70カ国で出版された3800誌の医学雑誌から、1966年以降に発表された900万件を超える文献が収録されている。年間40万件のペースで新たな文献が追加されていて、そのデータは毎週更新されるので常に最新の医学情報が手に入れられる。現在ではインターネットを介して無料で利用できる。

「EMBASE」は、Elsevier社が運営している文献データベースで、「MEDLINE」とともに医学分野では代表的な情報源である。収録範囲は医学を中心に生命科学全体をカバーし、特に医薬品関連が充実している。世界70カ国で出版された6500誌の医科学系雑誌から、1974年以降に発表された1600万件を超える文献が収録され、年間60万件のペースで新たな文献が毎日追加されている。有料になるが、これもインターネットを介して利用できる。

「コクランライブラリー」は、1992年にイギリスの国民保健サービスの一環として始まった「コクラン共同計画」によるデータベースで、臨床医学の様々なテーマに関する無作為対照試験の体系的レビュー(あるテーマに関する臨床試験を世界中から集めて批判的に吟味したもので、第一級のエビデンスとみなされている)を中心に構成されており、治療に力点をおいているという特徴がある。

「医学中央雑誌」は、国内医学文献の抄録誌として1903年に創刊されたもので、収録範囲は生理学、生化学などの基礎分野から臨床医学の各分野、獣医学、看護学、社会医学など広範囲におよんでいる。国内で出版された2400誌の専門雑誌の中から560万件の文献が収録され、年間30万件のペースで新たに追加されている。現在では、冊子、CD-ROM、インターネットからでも利用可能で、国内医学文献情報のデータベースとして重要な役割を果たしている。

また、インターネット上で世界最大のサーチエンジンとして名高いグーグル(Google)社は、2004年に学術論文専用サーチエンジン「Google Scholar」のベータ版を発表した。このサーチエンジンは、学問分野を限定していないのでさまざまな分野を横断的に検索でき、引用回数を重視した独自のアルゴリズムを採用することで重要性の高い文献をリストアップしてくれる。したがって、他のデータベースで検索してもヒットしなかった文献も検出できる可能性がある。

以上のような情報源を駆使して文献を検索するわけだが、札幌医科大学付属図書館では国内唯一の学外者文献複写サービスを行なっているし、最近では論文の全文をインターネット上で公開する医学雑誌も増えつつあり、数年前に比べると医学文献を入手する環境はかなり整ってきたといえる。

ただし、検出した論文をそのまま鵜呑みにしてはいけない。研究報告には多種多様なバイアス(偏り)があることを念頭におく必要がある。

1.研究段階バイアス(Submission Bias)
研究費の獲得や自身のポストなどの問題から、研究者は研究の企画段階からすでにできるだけ有意差のある研究データや結果を求める傾向があり、研究にとってマイナスだと思われるデータを排除したり、あるいは排除しないまでもデータの公表を遅延したりする傾向がある。

2.出版バイアス(Publication Bias)
研究グループのメンバーも、医学専門誌の編集者も、やはりできるだけ有意差のある結果を掲載したがる傾向がある。また、医薬品メーカーがスポンサーだった場合、新薬の治験データの公表に関して危惧される点は多い。

3.方法論的バイアス(Methodological Bias)
研究方法に問題がある場合のほとんどは、有意差のある結果となり、また問題が多いほどより有意差のある方向へ偏る傾向がある。

4.要約バイアス(abstracting bias)
特に要約の内容だけを検索データとしているデータベースが陥りやすいもので、本文より要約の方がより有意差を強調する傾向がある。

5.計算値上バイアス(Framing Bias)
統計計算上の偏りからくるもので、相対危険率などは、陽性バイアスの原因となる。

6.言語バイアス(language bias)
有意差が確認された無作為対照試験は、自国語よりも英語で報告される傾向がある。

医学文献データベースを使ってもこれだけのバイアスが潜んでいる。インターネット上ではこの傾向がさらに強く、患者や家族がインターネットを利用して偏った情報ばかりを収集しているという問題も浮上している。

それは、偏りのない根拠に基づく情報を提供しているウェヴサイトがほとんどない(腰痛に関しては全世界でわずか9件しかない)からである(Li L.et al,2001)。インターネット上では確信犯的なゴミ情報が氾濫しているので、十分に注意していただきたい。いわば、誤報という名の荒波の中で、危なっかしいサーフィンをしているわけだ。
posted by 長谷川 淳史 at 00:03| EBM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月22日

ステップ1:疑問点抽出

「テレビで医学博士が教えたとおりに体操させているのに、どうしてこの患者は治らないんだ?」
「この本には絶対に治る奇跡の治療法が書いてあるけど、じゃあ、あの本の内容はデタラメだったのか?」
「新しい治療法を習ってきたはいいが、この患者さんに使った場合、今までの治療法より早く治るだろうか?」
「あの先生は評判が良くていつも自信満々だけど、あんな乱暴な治療が本当に効くんだろうか?」
「どうしてこの患者はいつまでも治らないんだろう。他にもっと有効な治療法はないのか?」
「そもそも自分の治療は本当に有効なのだろうか。もしかして、患者が勝手に治ってるんじゃないのか?」

このような疑問を抱いたことはないだろうか。よほど自我の肥大がない限り、誰しも何かしらの疑問を抱えながら患者と接しているはずである。EBMはこうした臨床現場で生じる疑問点からスタートする。

つまり、目の前の患者に最善の医療を提供するには、どんな検査をして、どんな診断を下し、どんな治療をすれば、どんな結果が得られるのかといった、臨床現場における生の疑問点(リサーチクエスチョン)を明確にするのである。

疑問点を明確にするには、以下に示すような「PICO」、あるいは「PECO」を用いると便利だとされている。

【P】Patient=どのような患者に
【I(E)】Intervention (Exposure)=ある治療(検査)をすると
【C】Comparison=他の治療(検査)と比べて
【O】Outcome=どんな結果が得られるのか

そして疑問点を解決するための文献検索に必要なキーワードを考える。具体的には、「症状」「診断」「治療」「転帰」「予防」「安全性」「費用対効果」などである。

ここで強調しておきたいのは、EBMに必要なエビデンスは動物実験でも病態生理学的理論でもなく、臨床現場で直面している患者(人間)に焦点を当てたものに限定されるということである。

俗にいう「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!」(by 湾岸署刑事課強行犯係 青島俊作巡査部長)ってことだ。
タグ:EBM
posted by 長谷川 淳史 at 00:09| EBM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月21日

EBMとは何か

2005年2月、ハーヴァード大学のチョウドリーらが行なった体系的レビューによって、医師の経験年数が長ければ長いほど医療の質、すなわち医学知識、ガイドラインの遵守率、治療成績が低下するという事実が明らかとなった(Choudhry NK.et al,2005)

共同執筆者のソウメラル教授は、「経験の長い医師ほど、EBMという新たな治療戦略に関する経験が少なく、あまり受け入れていないように思われる」と述べているが、経験の長さはさておき、EBMを受け入れない医師が存在するのは事実だ。素人ならともかく、プロである医師の多くがEBMという概念を正しく理解していないのである。それはこういう発言でわかる。

「EBMの目的は医療費の削減にある」
「これはエビデンスに基づく治療だからやめられない」
「その治療はエビデンスがないのでできない」
「ガイドラインに従うことこそがEBMの実践だ」
「EBMは治療者の臨床経験を否定するものだ」
「ガイドラインのような料理本は多様性のある個々の患者に使えない」

すべての医師が理解していると勝手に思い込んでいただけにショックが大きい。いずれもEBMを誤解しているがゆえの的外れな発言である。しかしこれは医師だけの責任ではなさそうだ。どうやら厚生労働省がやらかしてくれたようなのである。

以下は、『アメリカ医療の光と影』の著者で知られる、ハーヴァード大学の李啓充助教授の文章である。

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筆者は、1999年の5月に日本を訪れた際に、米国B大学医学部の学生臨床実習責任者であるF医師の講演を拝聴する機会を得た。講演は首都圏のある大学病院で行なわれたが、そのテーマは、臨床実習の場でどうやって学生にEBM(Evidence-based medicine)の実践を教えるかというものであった。講演後、F医師はある教官からの質問に、正真正銘驚いて目を白黒させた。

質問は、「EBMの究極の目的は診療ガイドラインを作ることにあるはずだが、ガイドラインから外れる症例ではどうしたらよいのか」というものであった。この質問は、F医師の講演内容をまったく理解していなかったことを示すだけでなく、EBMに対する完璧な誤解に基づくものであったからこそ、F医師は驚いたのである。

なぜ、そのような頓珍漢な質問を受けるのか理由がわからないと、F医師が理解に苦しんでいる様子は気の毒であったが、実はそのような頓珍漢な質問が出た原因は、当時の厚生省(現厚生労働省、以下同)が、EBMに関する誤解を広めるキャンペーンを始めていたことにあったのである。

筆者が知る限り、「EBMとは治療ガイドラインに基づく医療をすること」というEBMに対する本末転倒の誤解を広めるキャンペーンを厚生省が始めたのは、1999年2月、同省の医療技術評価推進検討会が「EBMの概念を広めるため、国が音頭をとって治療ガイドラインを策定する」という方針を発表したのが最初である。そして同年5月には、米国のEBM専門家がのけぞって驚くほど頓珍漢な質問を、日本の医学部教官から受けるまでにその影響が浸透したのであるから、この厚生省のキャンペーンは短期間の間に実に見事な成果を上げたと言わざるを得ない。
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恥ずかしくて、穴があったら入りたくなるような話である。そして話は厚生労働省からのお粗末な弁解へと続く。

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2000年3月、厚生省の「EBM」キャンペーンの真意に疑念を抱いていた筆者は、厚生省健康政策局研究開発振興課医療技術情報推進室(当時)のM氏に厚生省の真意を直接質す機会を得た。その際、M氏は「ガイドライン作りを進めるのは、いつでもどこでも誰でもEBMができるようにするためであり、日本のボトム3分の1の医師たちにまともな医療をしてもらうことがガイドラインを作る目的である」と言明された。

ガイドラインに従う医療をすることがEBMであるとの認識を示された上に、トップダウンのガイドラインを日本の医師たちに押しつけることが厚生省の目的であるとするM氏の言葉に、厚生省の「EBM」キャンペーンに対する筆者の疑念は解消されるどころか、ますます増強されたのであった。
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EBMの父とされるマクマスター大学のデビッド・サケット教授は(現オックスフォード大学)、EBMを「個々の患者の診療方針を決定するにあたり、現時点で最良の科学的根拠を、良心的に、明快に、慎重に用いること」と定義し(Sackett DL.et al,1996)、聖路加国際病院の福井次矢院長は、「入手可能で最良の科学的根拠を把握した上で、個々の患者に特有の臨床状況と価値観に配慮した医療を行なうための一連の行動指針」と定義している(福井次矢,1999)

この定義を読んでも、何がなんだかよくわからないかもしれない。しかし、「ガイドライン」=「EBM」ではない、ということだけでも頭に入れておいてほしい。

とはいえ、EBMを理解するのはそれほど難しいことではない。要するに、EBMとは次の4つの手順で進行する医療行為を指す。

EBMの4ステップ.jpg

EBMを正しく理解していないと、せっかく最新のガイドラインを紹介しても誤解を招くだけかもしれないので、次回からはEBMの4つのステップについて説明しようと思う。
posted by 長谷川 淳史 at 00:43| EBM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする